いきなり世界がシャングリ・ラ

高校時代の友人二人と飲んできました。場所は一駅向こうに住んでいる友人宅。以前引っ越しのお手伝いをしに行った友人宅です。

まあなんと女子の部屋。緑のラグに赤い家具に・・・女子を感じました。

話のテーマは最近恋の話・・・最近恋したんだって。LINEの返事を返すタイミングがどうとか、こんな内容の話をしているだとか・・・淡い恋の話でした。身もだえてきました。帰りたい宣言をしましたが帰らせてはもらえませんでしたので途中で脱走して、夜風にあたりながら缶ビールを飲んでみたりして、楽しく過ごしてきました。

まあ結局途中で逃げ帰ったのですが

それ以上に私の中でのニュースが、日本フランス合作映画「FOUJITA」がオダギリジョー主演で来年秋公開されること。

そう、私の大好きな藤田嗣治です

藤田嗣治を知ったのは「藤田嗣治『異邦人』の生涯」近藤史人著(講談社文庫)を学生時代に読んだことがきっかけで、その生き様だったり芸術に向かう姿勢だったり、実際の絵を見たときは嬉しくて、その中でも大好きな絵があって、それ生で見たら泣いちゃうかもしれないと思っています。

去年の冬、渡仏100周年記念で京都で展示会やっていたため見に行きました(もちろんひとりで)難波でも時々やっているので見に行きます。美術館が好きっていうよりも藤田嗣治が好きなだけです。

来年の楽しみがひとつできました。嬉しいことです。

無国籍(出生後になるケース)

昨日とあるものを頂きました。

写真 12

「ヱヴァンゲリオン新劇場版:Q」に登場した新機体「エヴァンゲリオン Mark.09」の後半の姿、「第1のアダムスの器(移行中間形態)ゼーレ仕様」のフィギュアです。玄関に飾ることにしました。初めはトミパト(トミカのパトカー)と一緒に飾ろうとしたのですが、色々考え尽くされた配置なので、それを変えたくなかったため玄関の妹からのもらった絵の隣に飾ることにしました。

 

余談はさておき

前回まで、無国籍について「定義とメカニズム」「世代を越えた無国籍の継承」と書きました。何か授業みたいになってきていますが、メカニズムの中で、出生時の無国籍と出生後の無国籍があると書きましたが、今日は「出生後の無国籍」についてです。

まず、身分行為に伴う国籍の喪失が問題となるわけです。

たとえば、「夫婦国籍同一の原則」によって、A国の男性とB国の女性が結婚した場合、女性の国籍はA国になるが、夫が無国籍になったり、死亡したとき、離婚したときに、妻の国籍が剥奪されると・・・無国籍になるといった具合です。(日本では昭和25年の7月の新国籍法施行まで、夫婦及び親子国籍同一主義が採用されていました。)

他にも、虚偽の申請により帰化の手続きを完遂させたことが事後明らかになったときや、帰化したものが国の安全を脅かす活動に従事しているとき、法律の定めによって国籍が剥奪され無国籍になる場合や、人種、種族などを理由に特定の集団の国籍を剥奪するケース、あるいは特定の集団に国籍を付与しないことによって大量の無国籍者を発生させることも稀ではありません。

その一方で、国籍取得のために設定された条件が制限的で、行政の支援が不十分だったりして国籍取得の手続きを進められず無国籍状態になっている人もいます。

また、国家の分裂、分離独立あるいは独立の回復などに際して領域が移転したときには、当地に居住する住民の国籍問題が生ずることも避けられません。

さまざまな理由によって無国籍者になってしまう人たち、法律の隙間に落っこちてしまったりして、どの国にも属していない、どの国にも守られない。そんな人たちがこの世に沢山存在し、当然、日本にもいるのです。

 

無国籍(世代を越えて)

余談ではありますが、柔軟剤を変えてみました。

写真 11

P&GのLENOA EAU DE LUXE(レノア オード リュクス)のINNOCENTです。ドラッグストアの香りテスターですっかり惚れてしまい、悩んだ挙句買ってしまいました。パリの高級ホテルの香りだそうです。ただいまコレでブランケットを洗濯中。

さて、前回は無国籍のメカニズムの内、血統主義と生地主義の二つを取り上げました。血統主義は血統に従って親の国籍の継承を可能とする方式ですが、親が無国籍の場合には血統によって継承されるのは無国籍ということになり世代を越えて無国籍者を生み出すことになってしまいます。

であれば、生地主義を取ればこの連鎖を断ち切ることができるのかというと必ずしもそうではなく、生地主義を取ったとしてもそうではないのです。

出生という事実+親が特定の在留資格をもっていることを国籍付与の付加的条件としている場合、親が非正規滞在者だと子に出生国の国籍は与えられないということです。それでなく非正規滞在だということも継承されます。

医療関係者が出生証明書の発行を拒んだり、非正規滞在者はその事実が明るみに出ることを恐れ、役場に向かうことを避ける傾向にあり、子の国籍認定を阻害されることも少なくありません。非正規滞在者であっても母子手帳は交付されるが、親や役所の知識不足などにより母子手帳も交付されず、出生届けも出されず、存在しない子になってしまっている子どもたちには予防接種や就学の案内も来ず、医療、教育を十分に受けられない状態になっています。

無国籍(定義とメカニズム)

前の記事でもちらっと書きましたが、先日の喫茶店でのお供は「無国籍の情景 -国際法の視座、日本の課題」でした。

そもそも無国籍者って何?っていうところからなのですが、国際法における最も一般的な無国籍の定義は、1954年の「無国籍者の地位に関する条約」(無国籍者条約)第1条1項によると、「『無国籍者』とは、その国の法律の適用によりいずれの国によっても国民と認められないものをいう」と簡明に記されています。

人は、出生の時点において、出生地国または父、母の国籍国の法令(憲法、国籍法、行政命令など)の適用により、自動的にその国の国民と認められるのが原則ですが、人は出生の時点で無国籍になる場合もあれば、出生後に国籍を失うこともあります。しかしなぜ無国籍者を生み出してしまうのか、UNHCRは無国籍者を生み出す代表的な要因を10項に分けて紹介しています。

  • 国籍法の抵触
  • 領域の移転
  • 婚姻関連法令
  • 行政実務
  • 差別
  • 出生登録に関する法令
  • 血統主義
  • 国籍剥奪
  • 国籍離脱
  • 法令の適用による自動喪失

先程書いた、「出生時の無国籍」ですが、出生による国籍の取得は大きく分けると生地主義血統主義という2つの方式があります。

  • 生地主義:父母の国籍に関わらず子に出生国の国籍を付与する
  • 血統主義:出生国に関わらず子に親と同じ国籍を付与する

いずれの方式を採用するのかは各国の裁量にゆだねられています。(生地主義はアメリカなどで採用されており、血統主義は日本やドイツなどで採用されています)

しかし、結果として、たとえば血統主義国の領域で、生地主義国の国民を親として生まれた子はどの国の国籍を持つことになる・・・?ということです。

日本はかつて父系優先血統主義という、ざっくりいうと「子にはパパの有する国籍を与えますよ」という方式でしたのでパパが日本国籍を有していなければ、子には日本国籍を与えられませんでした。たとえばフジコ・ヘミングの場合、父がロシア系スウェーデン人で、母が日本人。ドイツで1932年に出生しましたが、日本は父系優先血統主義国であったため、長らく無国籍状態が続きました。

1985年にこの父系優先血統主義は改正され、父系母系どちらの国籍を選べるようになりました。これを父母両系血統主義と呼ぶことがあります。

長々と書いてしまいましたが、時々こんな話も悪くないなあなんて思います。また今度この話の続きを書くことにします。

適切な情報量

自室の部屋のPCデスクの隣には本の他タワーが一棟あって、最上階の本は日毎に違うのですが、今は「わかりやすく<伝える>技術」池上彰著(講談社現代新書)が乗っかっています。仕事では電話や書類で人に伝える作業が多いですが、得意なほうではないため参考にしています。

数年前は家庭教師のようなこともしていて、2-3時間ほど勉強を教えて、昼食をごちそうになる程度のものですが、終盤で復習問題を解いてもらっている間に、1枚のルーズリーフに、今日勉強したものを要約してここは重要なのでおさえておいてくださいねというものを作って渡していました。

どちらのシーンにせよ、重要視するのが「適切な情報量」です。簡潔過ぎても伝わらないけれど、長々と書いても伝わらない。

彼の本の中で特に参考にしているのが、

  • 誰のための説明なのか
  • 話にリードをつけること
  • ポイントは3つに絞る

説明するときに、恐らく最も大切なのは、(本の中にも「はじめに」という章で一番初めに書かれています)誰のための説明なのか、伝える側の自己満足にならないよう、相手が理解できることばで伝えられるよう意識しています。

話にリードをつけるというのは「今からこんな話をしますよ」という見出しをつけること。まず簡単に述べる。電話をかけるときは特に気を付けています。相手が「ああ、こんな話をするのか」と見構えるわけです。結論から先に述べてそこから詳細を説明するようにしています。

ポイントを3つに絞るというのは、3の魔術という言葉があって、人はたいてい3つなら耳を傾けてくれるが、4つになると注意が拡散し、内容が把握しづらくなるのです。

人に何か伝えるというのは難しいことです。もっともっと精進しなければと思うのですが、時々こういう類の本を読んで、仕事に生かそうとする辺りが真面目と言われる理由なんだろうなと思いました。