凍ったトマトの行方

読書のペースダウンに悩まされています。本に夢中になっていたときほど本が読めない。読みたい気持ちだけが空回りして、結局ページが進まない。論文も思ったほど読めないことがつらいです。そういうときは、比較的ライトな文章とか、過去に読んだ本とか、頭にやさしい本を読むことにしています。そうすると知らず知らずの内に頭が読書モードに切り替わって周りが見えなくなるほど夢中になってしまうのもそれはそれで悪い癖ではありますが・・・

さて、この頭にやさしいの「やさしい」

私はやさしさについて考えるときがあります。なぜなら私はやさしくはないから。私は誰かに何かをするとき、それはそうしたいからするのであって、ある意味相手の都合なんてお構いなしです。それが結果として相手にとってやさしいことであったとしても私のエゴで動いているだけなのだから、私にとってそれはやさしいことではないと思っています。

そしてやさしさについて考えるとき、真っ先に浮かぶ本は「やさしさの精神病理」という大平健氏の本です。赤岩波です。席を譲らない「やさしさ」、好きではないけど結婚してあげる「やさしさ」、「やさしい」関係に以上にこだわる現代の若者、精神科を訪れる患者を通してその心を読み解く一冊です。「やさしさ」につまずいたときにちょうどいい一冊です。

さて、「やさしさ」のゲシュタルト崩壊が起こったところで、冷蔵庫のトマトの様子を見てきます。熟れていたトマトを緊急で凍らせておいたので、今日の昼食に使おうと冷蔵庫に移しておきました。

やっぱり趣味は止まらない

昨日はお休みでしたので、ある人のところにある物を取りに行ってきました。

写真 1

本です。60冊ぐらい。平積みするとこんな感じ。

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最近読みたかった本も色々入ってたので大満足です。カミュの異邦人とか、村上春樹のねじまき鳥クロニクルとか、読書にはまったきっかけの海辺のカフカとか・・・(中学生のときに授業中こっそりカーテンの影で読むくらい好きでした)

久々に本の話をして大満足!もっと持って帰りたかったのですが、残念なことにスーツケースのキャパが限界でした。問題はこの本を収める本棚がないってこと。どうしようかな・・・Amazonで本棚買おうかなあとちょっと考え中。でも当分本には困らなさそうです。さーて何から読もうかな。

記憶を文字に起こすこと

毎日パソコンに向き合って文章を書くようになって気付いたのが、どうも私は記憶を文字に起こすことが苦手なようです。何か文章を書くときに手が止まるときは記憶を文字に起こしているときです。考えていること、目に見えるものを文字にするときはスラスラと書くことができるので、ドコソコに行ってきました、という日記を書くのはとても苦手です。だから、日記というか、思い出を文字に残せる人は素晴らしいと思うので、私はその都度書き留めておかないとそのようにはなれないと気付きました。

映像としての記憶は乏しく、記憶のほとんどは静止画として残ります。高校生の頃は、駅から地上に出てくるときに、前を歩く女性のスカート、足下が一枚の写真のように記憶され、その瞬間多くの文字情報として言葉が見えてきたので、よくぞこんなものに沢山の文字が見えたなあと我ながら驚かされました。

見たものが文字になって出てくる性質(性格?)も厄介なものです。

イン・ザ・プール

よく本を読むので、時々ではありますが、面白い本を教えてほしいだとか、どうやって本を選ぶの、という質問を受けたりします。大体そういうのって感性の問題なので、人がどうこう言う話ではないのだろうと思うのですが、「イン・ザ・プール」を勧めます。(私の中では)なんといっても読みやすい。総合病院の地下にある神経科の変わったドクターと変わった患者のお話です。

「イン・ザ・プール」といえば、先日喫茶店の帰りに自転車のカゴを覗いたら、「冷静と情熱のあいだ」と「イン・ザ・プール」が放り込んであって、これは誰かからの私へのメッセージなのではないかとか、何でこの本を放り込んだのか、もしかしてもしかしてとあてのない妄想を繰り広げていたのですが、結局そんなことをしたのは一体誰なのかはわからないまま。とりあえず持って帰っておきました。

本は買わなくても頂いたり、自転車のカゴに入っていたりして増えていくので、本棚を増設しようか捨てるべきか悩んで早数日。本だけはどうしても捨てられそうにないのです。引っ越しのときにかなり厳選してきたつもりなんだけどなあ・・・

ソファの上のわがまま猫

私の好きな本の内の一つに「長椅子の猫」という本があります。ざっくりと内容を言うと、恋人に捨てられた女性が、行きつけのバーのママ(男性)の家に転がり込んで、長椅子を居場所に与えられて「ソファの上のわがまま猫」と名付けられ、猫としてあれこれお世話される話なのですが、多分とても居心地がいいだろうなと考えてしまいます。

私が本を読んでいると周りが見えなくなって、本の世界から帰ってきません。背後で何されようがまったく気づかない。その間に、ベッドのシーツはパリッとした真っ白いシーツに変わっていて、部屋に散らばっていた本も服も綺麗に積み上げられていて、ふと一息ついたときに、コーヒーの匂いに気が付きました。私が本の世界に行ってしまっている間に何もかもしてくれていたようです。

「僕は本は読まないけれど、あなたの本の話を聞くのが好きだし、本を夢中になって読んでいるあなたが好き」だと言ってくれる、私をソファの上のワガママ猫としてお世話してくれる人がかつていました。だから、「長椅子の上の猫」を読むとその日のことが鮮明に思い出されるのです。

先日、久々に会ったときも、私はずっと本を読んでいて、人といるにも関わらず本を読んでいても何にも怒られなくて、私はまたソファの上のワガママ猫に返ったような気分でした。帰り道に、私のことを引き留めようとしましたが「さようなら」と言ったきり、連絡先も変えてしまったので、もう二度と会うことはないのだと思います。私は、追いかけられると、逃げてしまう性格なのです。