凍ったトマトの行方

読書のペースダウンに悩まされています。本に夢中になっていたときほど本が読めない。読みたい気持ちだけが空回りして、結局ページが進まない。論文も思ったほど読めないことがつらいです。そういうときは、比較的ライトな文章とか、過去に読んだ本とか、頭にやさしい本を読むことにしています。そうすると知らず知らずの内に頭が読書モードに切り替わって周りが見えなくなるほど夢中になってしまうのもそれはそれで悪い癖ではありますが・・・

さて、この頭にやさしいの「やさしい」

私はやさしさについて考えるときがあります。なぜなら私はやさしくはないから。私は誰かに何かをするとき、それはそうしたいからするのであって、ある意味相手の都合なんてお構いなしです。それが結果として相手にとってやさしいことであったとしても私のエゴで動いているだけなのだから、私にとってそれはやさしいことではないと思っています。

そしてやさしさについて考えるとき、真っ先に浮かぶ本は「やさしさの精神病理」という大平健氏の本です。赤岩波です。席を譲らない「やさしさ」、好きではないけど結婚してあげる「やさしさ」、「やさしい」関係に以上にこだわる現代の若者、精神科を訪れる患者を通してその心を読み解く一冊です。「やさしさ」につまずいたときにちょうどいい一冊です。

さて、「やさしさ」のゲシュタルト崩壊が起こったところで、冷蔵庫のトマトの様子を見てきます。熟れていたトマトを緊急で凍らせておいたので、今日の昼食に使おうと冷蔵庫に移しておきました。