本の扱い

先日もらったエヴァは箱から出して飾ることにしました。

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なかなか素敵です。遊びに来た友人にはエヴァとパトカーの組み合わせってどうなの?と言われますがあまり気にしていません。女子の部屋っぽくはないですが、気に入っているので良しとします。

先日マスターとのミーティングでちょこっとでた話題で(いつも話題はなかなか尽きないのでとても楽しいのです)本の扱いについて出てきたのですが、私は割と雑なのでこんな感じになります。

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「文豪はみんな、うつ」岩波明著(幻冬舎新書)です。鞄に入れたりして表紙がなくなることも往々にしてありますが、売るつもりはさらさらないので、思うがままに読み込んでしまいます。本の内容は、題名通り、文豪たちは精神をどれほど病んでいたかという話です。精神科医の目線で書かれています。登場するのは、夏目漱石、有島武郎、芥川龍之介、島田清次郎、宮沢賢治、中原中也、島崎藤村、太宰治、谷崎潤一郎、川端康成といったまさしく文豪。読んでいると少々気は重くなりますが好きな一冊です。(私のことを知っている人ならば、うん、好きそう。と言われるだろうなあ)

そういえば、先日書いたヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)までのぶらり旅の日程が決まりました。今からとても楽しみです。普段は写真なんて撮らない私ですが、せめて3枚くらいは撮れたらいいなあなんて思っています。

引用符とピリオド

iPhoneの言語環境設定で音声コントロールを英語にしてSiriと英会話しています。15分後に起こしてとか、○○までの行き方を教えてとか、twitterを投稿してみたりだとか。何だか友達が居ないみたいで寂しいような・・・

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パソコンの後ろにちょこっと置いてある本。

  • 大阪市精密住宅地図
  • New International Business English
  • 藤田嗣治追悼展 HOMMAGE A LEONARD FOUJITA
  • 最後の授業
  • 数学ガール
  • 英語ライティングルールブック
  • 舟を編む
  • 女のいない男たち

ジャンルがバラバラですが、この中から今日の話題。

ダブルクオーテーションマーク(引用符)を使うときピリオドは内側か外側か?

高校生の時に英語のコレで躓きそうになりました。

In his letter, he wrote, “The deadline on January 19.” 

In his letter, he wrote, “The deadline on January 19“. 

はたしてどっちが正解なのか・・・

それはそれは高校時代色々な先生に聞きに回ったり、塾の先生に聞いてみたり・・・つまらないことを聞くなと言われそうなことを真面目に考えてたものです。

そのとき塾の先生から頂いたのが「英語ライティングルールブック」デイヴィッド・セイン著(DHC)で、きっちり書いてました。結局のところ引用符の内側にピリオドを打つのはアメリカ式で外側に打つのはイギリス式。でも大切なのは同一文書内で統一すること。

ただしアメリカ式の場合でも引用文中の最後にEメールアドレスがくるときはピリオドを例外的にだすことがある。(最後のピリオドまでがアドレスと誤解されないため)

なーんだ超簡単な話じゃん。何で先生教えてくれなかったんだろ。

結構この本、未だに役に立つときがあるもので、イタリック(文字を斜めにするやつ)の使い道だったり、「~」「→」を英語にしようとしたときはどうすればいいか。辞書的な感じで使っています。でも、学生時代と違って、英語で文章を書く機会なんてそうそうないですね。

いきなり世界がシャングリ・ラ

高校時代の友人二人と飲んできました。場所は一駅向こうに住んでいる友人宅。以前引っ越しのお手伝いをしに行った友人宅です。

まあなんと女子の部屋。緑のラグに赤い家具に・・・女子を感じました。

話のテーマは最近恋の話・・・最近恋したんだって。LINEの返事を返すタイミングがどうとか、こんな内容の話をしているだとか・・・淡い恋の話でした。身もだえてきました。帰りたい宣言をしましたが帰らせてはもらえませんでしたので途中で脱走して、夜風にあたりながら缶ビールを飲んでみたりして、楽しく過ごしてきました。

まあ結局途中で逃げ帰ったのですが

それ以上に私の中でのニュースが、日本フランス合作映画「FOUJITA」がオダギリジョー主演で来年秋公開されること。

そう、私の大好きな藤田嗣治です

藤田嗣治を知ったのは「藤田嗣治『異邦人』の生涯」近藤史人著(講談社文庫)を学生時代に読んだことがきっかけで、その生き様だったり芸術に向かう姿勢だったり、実際の絵を見たときは嬉しくて、その中でも大好きな絵があって、それ生で見たら泣いちゃうかもしれないと思っています。

去年の冬、渡仏100周年記念で京都で展示会やっていたため見に行きました(もちろんひとりで)難波でも時々やっているので見に行きます。美術館が好きっていうよりも藤田嗣治が好きなだけです。

来年の楽しみがひとつできました。嬉しいことです。

無国籍(出生後になるケース)

昨日とあるものを頂きました。

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「ヱヴァンゲリオン新劇場版:Q」に登場した新機体「エヴァンゲリオン Mark.09」の後半の姿、「第1のアダムスの器(移行中間形態)ゼーレ仕様」のフィギュアです。玄関に飾ることにしました。初めはトミパト(トミカのパトカー)と一緒に飾ろうとしたのですが、色々考え尽くされた配置なので、それを変えたくなかったため玄関の妹からのもらった絵の隣に飾ることにしました。

 

余談はさておき

前回まで、無国籍について「定義とメカニズム」「世代を越えた無国籍の継承」と書きました。何か授業みたいになってきていますが、メカニズムの中で、出生時の無国籍と出生後の無国籍があると書きましたが、今日は「出生後の無国籍」についてです。

まず、身分行為に伴う国籍の喪失が問題となるわけです。

たとえば、「夫婦国籍同一の原則」によって、A国の男性とB国の女性が結婚した場合、女性の国籍はA国になるが、夫が無国籍になったり、死亡したとき、離婚したときに、妻の国籍が剥奪されると・・・無国籍になるといった具合です。(日本では昭和25年の7月の新国籍法施行まで、夫婦及び親子国籍同一主義が採用されていました。)

他にも、虚偽の申請により帰化の手続きを完遂させたことが事後明らかになったときや、帰化したものが国の安全を脅かす活動に従事しているとき、法律の定めによって国籍が剥奪され無国籍になる場合や、人種、種族などを理由に特定の集団の国籍を剥奪するケース、あるいは特定の集団に国籍を付与しないことによって大量の無国籍者を発生させることも稀ではありません。

その一方で、国籍取得のために設定された条件が制限的で、行政の支援が不十分だったりして国籍取得の手続きを進められず無国籍状態になっている人もいます。

また、国家の分裂、分離独立あるいは独立の回復などに際して領域が移転したときには、当地に居住する住民の国籍問題が生ずることも避けられません。

さまざまな理由によって無国籍者になってしまう人たち、法律の隙間に落っこちてしまったりして、どの国にも属していない、どの国にも守られない。そんな人たちがこの世に沢山存在し、当然、日本にもいるのです。

 

無国籍(世代を越えて)

余談ではありますが、柔軟剤を変えてみました。

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P&GのLENOA EAU DE LUXE(レノア オード リュクス)のINNOCENTです。ドラッグストアの香りテスターですっかり惚れてしまい、悩んだ挙句買ってしまいました。パリの高級ホテルの香りだそうです。ただいまコレでブランケットを洗濯中。

さて、前回は無国籍のメカニズムの内、血統主義と生地主義の二つを取り上げました。血統主義は血統に従って親の国籍の継承を可能とする方式ですが、親が無国籍の場合には血統によって継承されるのは無国籍ということになり世代を越えて無国籍者を生み出すことになってしまいます。

であれば、生地主義を取ればこの連鎖を断ち切ることができるのかというと必ずしもそうではなく、生地主義を取ったとしてもそうではないのです。

出生という事実+親が特定の在留資格をもっていることを国籍付与の付加的条件としている場合、親が非正規滞在者だと子に出生国の国籍は与えられないということです。それでなく非正規滞在だということも継承されます。

医療関係者が出生証明書の発行を拒んだり、非正規滞在者はその事実が明るみに出ることを恐れ、役場に向かうことを避ける傾向にあり、子の国籍認定を阻害されることも少なくありません。非正規滞在者であっても母子手帳は交付されるが、親や役所の知識不足などにより母子手帳も交付されず、出生届けも出されず、存在しない子になってしまっている子どもたちには予防接種や就学の案内も来ず、医療、教育を十分に受けられない状態になっています。