日常におけるソリューション

「面倒なことは嫌い」「いつ消えてもいいようにする」

それらを解決する方法は、物を少なくすることでした。

不定期に、思い立ったときに持ち物を見直し、不要と感じれば処分するようにしています。そんなこんなで昨日買ったものと捨てたもの。

買ったもの。

  • ワンピース
  • ストッキング1足
  • 黒い靴下2足
  • 薄手のタイツ3足
  • ステンレスタワシ

「ジャージでコンビニに行けるか?」というテーマで書いたときに検討した、ちょっとコンビニに行ける程度の部屋着。ということでワンピースを買うことに決定。

捨てたもの。

  • パジャマ一組
  • ヨレたTシャツ
  • 履き心地の悪い靴下
  • 外に着て行けない貰い物のメルヘンワンピース
  • 部屋着用Tシャツ
  • 卵焼き用のフライパン
  • サイズ違いのタッパー

ワンピースを買ったら部屋着専用が要らなくなりました。靴下も履き心地のいいものに変えて、卵焼きも焼かないので処分。ステンレスタワシはフライパンとヤカンを綺麗にしたくて買いましたが、思った以上に綺麗になって感動。

部屋着兼ちょっとそこまで着はすっごい楽。今までその都度着替えていたのがいかに面倒だったかを思い知りました。宅配業者が来ても郵便屋さんが来てもそのままでOK。

そうしてゴミ袋2袋分を処分。

それにしても履き心地の悪い靴下ってやっぱり不快。

アンソニーを覚えているか

人は時間を重ねていくもので、そのとき、そのときで印象深い何かが想い出として刻まれていくのだろうと、考えるのですが、私には小中高校と夢中にさせてくれた本がありました。

小学生の頃読んだ、小説というか児童文学がアンソニーという本です。とある写真館の物語。教室のランドセル置きの右端に置いてあり、休憩時間ごとにページを進めていくのがとても楽しかったのを覚えています。でも、詳細を思い出せない。読書が楽しいと思ったキッカケの一冊だったのだと思います。当時は限られたお小遣いでしたから、図書館に行くようになったのもこの頃です。

中学生の頃は村上春樹の「海辺のカフカ」に夢中になりました。少年が体を鍛えて、年齢不相応な体つきになって家出をするところから始まるような(記憶違いでしたらすみません)授業なんてそっちのけで、カーテンにくるまって貪るように読みました。この頃から昼休みになると図書室に行くようになり、図書室が居心地のいいところだと知りました。

高校生の頃は、「世にも美しい数学入門」でした。ゼロという概念を見つけたのはインド人で、東洋の思想なくしては、発見には至らなかったという内容が書いていたのではないでしょうか。高校には図書館司書さんがいましたから、よく話しかけていました。上品でとてもやさしい方でした。図書館司書という本に関わる仕事に憧れたものでした。

短大生の頃は「セックスボランティア」「『異邦人』の生涯」でした。

それぞれの時代にそれぞれ印象深い本があるということは、私にとっては、ですが素敵なことだと思っています。

いま、それらの本を読んだらどう感じるでしょうか。残念ながら、私はアンソニーを覚えてはいないのです。

ジャージでコンビニに行けるか?

ふとした雑談の中から出てきたことなのですが、
「ジャージでコンビニに行けるか?」

私はジャージは持っていません。以前、処分リストの中に選ばれて処分することとなりました。高校時代のジャージはなぜか妹の部屋着です。

そして私の結論は「ジャージではコンビニには行けない」
持ってないっていうのもあるんですけど、わざわざ着替える派。
でもこれって結構面倒で、洗濯物も増えるのです。そして着る服を選ばないといけない。

そんな中とある文章に出会いまして。

「ワタシはこのワンピースで寝ますし、部屋着にもしていますし、これで近所への買い物も行きます。どれだけ面倒くさがり屋なんだって感じですけど、着替えないことはワタシにとってかなりの時短なのです。」

あっ、そっか。パジャマと部屋着とお出掛け着があるから服も洗濯物も増えるんだ。
朝起きてパジャマを脱いで、ちょっと出るのにお出かけ着に着替えて、帰ってきたら部屋着に戻って、そして制服に着替えて仕事に行く。
そこをショートカット出来ればもっと効率良く暮らせるってことですね。

それってジャージでコンビニに行くことに通ずるものがあって、これでパジャマと部屋着を処分できるってことか。(とはいってもパジャマは妹からのおさがり)

雑談の中に暮しのヒントはある、ちょっと検討してみよう。

ニベアの話

夏といえば露出が増える。(とは言っても長袖、ストッキング派です。)

とはいえども、スキンケアに気を遣わなければならない年頃になってしまいました。乾燥は女の敵です。潤いのある肌でなければという強迫観念はさておき。

だけど、お風呂上がりに塗るボディクリームがベタベタする気がするのと面倒なのでどうも苦手意識があって、結局続きませんでした。

そんなとき、良いの見つけて来ました。

  
ニベアのインシャワーボディローションっていうもので、お風呂から上がる前の濡れた肌に塗ってシャワーで流して完了。

こういうの素敵。値段も素敵500円くらいだったはず。心なしかお風呂上がりの肌がしっとりしているような気がします。私のような、面倒くさがりにはぴったり。化粧品等々に疎い私でもさすがにニベアは知っております。

ムダ毛の処理だとかスキンケアとか女子というのは非常に大変ですが、どうせだったらカサカサよりはしっとりした肌のほうが、ええ自己満足です。

ニベアの話というよりもスキンケア事情になってしまいましたが、「人のセックスを笑うな」という小説に出てくる、主人公が恋する女性はニベアを塗らないのですが、それでも魅力的な女性になれたら一番いいのかもしれません。

【読書日誌】中原中也との愛

読書することを忘れてしまったかのように、本から離れたところで暮らしていたのですが、これがまた思い出したかのようにまた読書をすることとなりました。

「中原中也との愛 ゆきてかへらぬ」長谷川泰子・村上護編(角川ソフィア文庫)です。


中原中也の詩集が家にあったので、それを読む前に読んでおきたい一冊でした。女優志望の泰子には詩人中原中也との出逢いがあり、共に暮らし、そして別れがあって、更に評論家小林秀雄との出逢いと別れがありました。彼女の潔癖症について書かれていたり、それに対して小林が「シベリア流刑」だと言ったのが印象深いです。昭和初期の文壇の分かる一冊だそうですが、その頃の文壇に造詣が深いわけでもないので新鮮な気持ちで読み進められました。知っている方の名前も出てきたので飽きずによめましたし、この頃の文化や文壇を知るべく、高校時代の国語便覧でも読んでみようかなという感想です。

中原との別れのあとも、付き合いは途切れたり続いたりしながら、彼の死までを、中原中也の詩を織り交ぜながら綴っています。

その本の中でドッグイヤーしたページがひとつあって、中原が泰子さんに宛てた手紙の一節を引用した部分の最後。

打つも果てるも火花の命。

この言葉に何だかグッとくるものがありまして。ちょうどその時、友人とビールを飲み、軽くつまみながら読んでいたのですが、つい口ずさんで、頁の端をそっと折りました。

打つも果てるも火花の命。

私にも数は少ないですが一緒に食事をする相手はいて、その時は男性だったのですが、彼は特に本を読むことに対して何も言いません。中原中也という名前を聞いたことだけはあるといったぐらいですから、読書の話をするわけでもなく、各々に好きなことをして過ごすわけです。

私の周りにはそういう人間が結構いて、熱く何かを話すこともありますが、大体はお酒の途中でギターを弾きだしたり、失恋の感傷に浸って深酒をして眠りについてしまうので、お互い干渉するわけでもなくただ同じ空間にいるだけということが多いのです。

なので、お酒と人という組合わせは素敵な読書空間になり得るのです。

とまあ、横道に逸れてしまいましたが、中原中也との愛、興味のある方は是非。