小ネタ集

久々の没ネタについて。書きたいことは色々とあるのですが、上手くことばにならなかった残骸たちの話。ある意味小ネタ集のような感じです。

「喫茶店の当たりはずれ」
16歳からはじめて7年くらいになる喫茶店めぐりで、ここは辺りだったなあという喫茶店とはずれだったなあという喫茶店の感想。とある遊郭のはずれにある喫茶店には衝撃を受けました。あそこは間違いなく個人的はずれ店と思える店について。

「書を捨てよ、町へ出よう」
寺山修二の本から拝借したタイトル。ついでに阿部公房についても書きたかったのですが、文章量が足りず断念しました。このタイトルの響き自体はとても好きで、この本の感想を書きたかったのですが。

「三冊の人間失格」
なぜか太宰治の人間失格を三冊持っている人の話。本人は太宰好きという訳でもなく、人間失格を三人からもらって三冊になってしまった人がいて、その話を書きたかったのですがいい落ちが浮かばず断念しました。

「異邦人」
カミュの「異邦人」について。その本を読むきっかけが勿論あったわけですが諸事情により書くことができませんでした。海外文学が苦手な私を変えた一冊です。

いずれこの中から採用する分がでてくるかもしれません。
一応、小ネタ集どまりということで。

見えるものが見えない

見えないものが見えて、見えるものが見えない。決してオカルト的な意味ではなくて、自分の中の問題の話。

糸が見えるときがある。
複雑に絡まりあって、決して解けそうにもない赤い糸が見えるのですが赤いときもあれば白いときもあってそういうとき自分が混乱しているなあと理解します。

景色が文字になって見えるときもある。
見たものが明朝体で、原稿用紙数枚分が一気に見えることがあって、見え過ぎて処理ができないときはとにかく呟くなり書き出すなりします。

通帳は見えない。
通帳記入をしても通帳が読めない。記号の羅列にしか見えないので、遠い外国の言葉のように思えて途方に暮れてしまうので、通帳記入はしません。

伝票は見えない。
仕事で扱う伝票でも読めない伝票があります。これも通帳と同じ。見えない手帳もあるので、手帳を買うときはかなり気を遣うので、手帳は買わないようにしています。

目を瞑ったときに見えるものは一体なんだろう。あの色は何色なのだろう。
そんなことを考えては自分の世界に籠ってしまって帰り道がわからなくなってしまいます。誰か、どうやったら見えるものを見ることができるのか教えてください。

点と線で人生を

点と線で人生を表現することは可能か?

このテーマで何か書きたいとずっと思っていたことだったのですが、16歳のときにふと思いついて21歳に至るまで考えていたことで、到底無理だと気付くのに5年の年月を費やしてしまいました。図形にすることも論文にすることも出来ませんでした。

たとえば、生まれた時点を点として、そこから点Aやら点B、線1、2とを結などと色々と考えてみたのですが、私の思っていた以上に人生というものは複雑なようです。たかだか20数年の人生で複雑という結論に落ち着くのも何とも青い話ではあるのですが、当時としましては表現可能な物だと信じてやまなかったのです。

そもそも直線だけでは表現のできないものなのでしょうね。きっとその表現がある程度完成したところで、自己満足な劣悪な現代アートにしかならなかったのではないかと思います。

しかし、人生を表現するために言葉という便利なものがあって、言葉というのは結局は文字でその文字は点と線の記号だったり、人生の1ページを捉える写真でさえも小さく見れば点と線の集合体だったりするので、点と線で人生表現するのは結論としては可能なのかなと、ふと気が付いた23歳の春でありました。

不思議な男性

多感な10代後半に出会った人の中で忘れられない印象的な方がいます。

彼の年齢は誰も知らず、完全に年齢不詳の方でした。
知っていることと言えば、実家は山奥で所謂お坊ちゃんで、独身。

高校時代は髪を緑やピンクに染めていて、下駄で登校していて、親御さんも呆れていたようですが、絶対に無理だと言われていた国立大学に入学して、今はどこかの街で塾のオーナーをしているそうです。

当時は都心にマンションを借りていて、部屋が余っているからと同郷の後輩たちを居候させたりしていて、ポストにいい物件の広告が入っていればすぐに電話して引っ越すくらいの引っ越し魔で、広島焼きを食べに広島に行こうと急に言われたり、とにかく行動派な男性でした。

成人してからも、コーヒーを飲んでいたら顔を思い出したからという理由で呼びつけられたりもしましたが、また会いたいと思わせる不思議な魅力がある一方で、今日会ったらもう次は会えないのではないかと思わせるような、結婚相手なんてすぐにでも見つかりそうなくらい魅力的な方なのに、結婚したがらない、そんな方でした。

今まで出会った中で一番不思議で、一番クレバーな男性です。

 

例えるならば

あの子って誰に似ているか、そんな例え話は結構日常会話にもでてくることで、私も耳にする例え話。じゃあ私って何に似ているか。そんな話です。

 

私は、友人がお酒に酔って眠ってしまっている間、車の助手席などで、よく本を読みます。

それは初めて付き合ったボーイフレンドが原因で、デートと言えば喫茶店で読書か、あるいは勉強をしたりするのが当たり前で、人といるときは本を読むべきではないと誰かが教えてくれたのは成人になってからのことでした。

しかし癖というのは簡単には抜けなくて、大体人と会うときは本を持って出かけてしまうのですが、よく尋ねられるのがどんな小説を読むのか。そういうときは主人公がどんな人物かをざっくりと話すことにしています。

例えば、喫茶店に入り浸って知らない人から借りた本を煙草を咥えて片っ端から読んでる女の子だったり、マダムとよばれるオカマの家に居候してソファの上で一日中本を読んでいる女の子だったり。それってあんたじゃないのって言われてイメージの恐ろしさを痛感したりするのです。

とある小説では何かに夢中になったら煙草を吸っているのさえ忘れて没頭してしまう女性が出てくるのですが、それは往々にしてあることで、まあイメージも半分くらい合っているかと開き直ったり。(ちなみにその小説では彼女の煙草をきちんと消してくれる男性も登場します。私の場合はというとそれは秘密です。)

あまり現存する人物に例えられることは少ないですが、小説に出てくる女性には例えられるのは、小説好きとしてはまあ、嬉しいことですかね?