普通について考える

先日書いた「普通が一番難しい」というテーマの続編のようなものですが。

まず、定義がハッキリとしないこの言葉。Google先生に「普通 意味」と問いかけると以下のような回答が。


ただ、誰にとっての普通なのか。どこを基準にしての普通なのか明示はされていないわけで。それだけ世の中にありふれている言葉なのかもしれませんが。

個人的解釈を述べると、そこには「私にとっての」という言葉が大前提として省略されているようにしか思えないのです。

普通という言葉は普(あまね)く通じるという意味なのだろうということなのですが、そうなると普くという言葉さえも追いかけなければならないような、気の遠くなるような作業なのは目に見えています。

他言語の視点から普通について追いかけてみると面白いかもしれません。英語でいうならregularだったり、normalだったり、usuallyだったりがパッと浮かんだ単語ですが、出来ることならば、それぞれの語源について探ってみたいです。

言葉の海は深くて広い。その舟は無事に目的地に着くのでしょうか。何だか「舟を編む」のようになってしまいましたね。

普通が一番難しい

ファッションの世界でも「ノームコア」なる究極の普通が流行しました。

個人的な感想では、私自身、多分同年代よりも服は少ない。
それは友人の引越しの手伝いをしたときにも感じたし、
妹の部屋を見てもそう感じました。

極々普通の恰好。ファッションに流行を求めないので、何を着ていいのか迷うことが少なくて、(それは職場が制服なのも大きく関係しているのかもしれないけれど)服は沢山あるけれど着る服が無いという矛盾に陥ることはありません。ある意味無頓着。

だけれども「思考」「行動」において「普通」というのは一番難しい。
「普通に考えたら」という前置きが上手に理解できない。何を以て、何を基準として普通なのかがさっぱわかりません。

だからと言って私が変わり者であるという訳では決してなく、奇を衒う訳でもなく、
(「単純なのに分からない」と言われる性格の持ち主だそうですが)理解力がないだけなのか、物事を複雑に考えているのか、「普通」ということばにいつも悩まされるのでありました。

その普通は誰にとっての普通なのかと小一時間問い詰めたい気分です。

中原中也と口紅

これがどうならうと、あれがどうならうと、
そんなことはどうでもいいのだ。

これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと。
そんなことはなほさらどうだつていいのだ。

人には自恃があればよい!
その余はすべてなるまゝだ……

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない。

(中原中也「盲目の秋」より)

久々に本の話。最近読んでいなかった本の話。
何の本を読んでいるのか読み終えたあとに感想ということで。

昨日は仕事がはやく終わったのでひさびさに妹と、外出。

一緒に食事を取ってきたのですが、ふらふらと買い物したりなんかして。
話題は口紅のことになり。私の唇は結構小さくてさらに血色があまりよくない。
そんなこんなで、合う口紅を買うことにしたのですが、結局しっくり来ず。

衝動買いはしたくないので、少しでもしっくり来ないものは買わないことにしているので結局何も買わずに帰ってしまいました。

食事の間に就活の話や、妹の友人の話を聞きながらのんびり過ごしました。

帰りの電車に乗る前の喫煙所で話したことは、世の中にはいろんな人がいるけれど、自分が思っている以上にいろんな人がいると思うっていうこと。妹ではありますが、同年代と食事に行くのが久々だったので新鮮な話も多かったです。

口紅どうしようかな。とりあえず、読書優先かな。