本の引越

区の境目に住んでいるので二つの区の選挙カーが走っていてとても騒がしいです。同時に聞こえたときにはもううああああああああああああああって感じです。

そういえば、まだ書いてなかった話題「本の引越」
あの床に乱雑に積み上げられていた本はクローゼットに引っ越しました。

 

  机の隣とブックタワーに入れて文庫本をメインにクローゼットに移動。
床面積が増えてすっきりしました。

にしても、人に本棚を見られるのって結構恥ずかしいですね。趣味嗜好がばれてしまうようなそんな気がします。でも来客なんて限られているのでキニシナイ。その内キッチン周りとかも晒しそうな自分がいて怖いです。

さて、今度のマスターとのミーティングはカフェになりました。カフェが怖い私はきっと借りてきた猫のようになるでしょう。その日のミーティングは2軒回る予定で、布ドリップコーヒーの喫茶店のほうが楽しみだったりしますが。あの洒落た空間と洒落たメニューがどうにもこうにも怖いのです。ポーカーフェイスで乗り切ります。

そんなカフェ恐怖症の私の人生初めてのアルバイトはカフェバーだったりするのですが。洒落たメニュー出してましたよ。なのにお客さんとして行くのはやはり怖かったりするものです。

 

女子力男子

秋くらいに柿とモッツァレラチーズの組み合わせが好きだと書いたはずですが、この季節に柿なんて手に入るはずもなく。林檎とモッツァレラチーズで我慢しています。
塩と粗びき胡椒とオリーブオイルをかけて食べるのが密かなブームです。

昨日は1日寝てました。そして18時半にむくっと起き出して。友達と食事に行って帰ってきて久々にテレビを観ると「女子力男子」特集が。

ざっくり言うと今、女子力の高い男子が流行っているというかモテる!との事でした。男性でも生け花やアロマ、ネイルに美容と色々やってらっしゃる方がいるようで。料理教室に通ってたりするそうです。

私よりも女子力高いです。完全なる敗北です。花を愛でたりアロマ炊いたりしません。料理もネイルも最低限です。なので私は男性に女子力は求めません。求めないというか求められませんのほうが正しいですね。

でも、最近「女子力」という言葉が流行してますね。一体定義ってなんだろう。と思って女子力で検索したらwikipediaにありました、女子力の項目。

女子力とは、輝いた生き方をしている女子が持つ力であり、自らの生き方や自らの綺麗さやセンスの良さを目立たせて自分の存在を示す力、男性からチヤホヤされる力。

 

2009年の新語・流行語にノミネートされてるんですね。つまり6年前。息の長い言葉のようで。ほえええ知らなかった。昨日のテレビでは、女子力男子がなぜモテるのかというと、女性は共感されたいそうです。「このパンケーキ美味しいね」「この服バーゲンで買ったの」という会話に共感してほしい。ボーイフレンドにもカフェでパンケーキやスイーツを食べてほしい。そして、共働き世帯が増えている現状、男性にも家事をしてほしいといった需要からモテるそうです。

うーむ。なるほどそういうことか。

喫茶店派にはちょっと関係のない話。家事は・・・手伝ってほしいかな。たまには。

充分適度なロマンチック

選挙カーに入学式。そとはとても賑やかです。
さてさて今日はお休みなので、喫茶店に引きこもるか、家にこもるか。
その前にボディーソープやらマニキュアを買わなくてはならない。

今日は「充分適度なロマンチック」について。やっぱり女子はロマンチック好き。

私の中でのロマンチックは、夏の日に白いワンピースを着て麦わら帽子を被っていると、急に強い風が吹いて、麦わら帽子が飛んでいく。風に乗って飛んでいった麦わら帽子を拾ってくれた青年と恋に落ちる。

もしくは、喫茶店で相席になって本を読んでいると、向かいに座っていた男性もその作者が好きで意気投合する。

なんていうベタな話なのですが(そして大抵笑われる)
そんなロマンチックさに憧れていたりもしたのですが、最近気が変わりました。
何となく知り合って、それとなく出かけたり食事をしたりして、適度なロマンチックな場面があって。

非日常じゃなくても、日常のなかにだってロマンチックはあるんだなあと思いました。そういう適度なものでいいんじゃないの。なんて考えるようになりました。

だって私、白いワンピースも麦わら帽子も持ってないし、相席になるような混んだ喫茶店は苦手ですから。

文章の癖と短文コミュニケーション

そろそろマニキュアを塗りなおさなければならないなと思っていた矢先、職場で男性社員に指摘され、意外と見られていることに驚きました。
透明のマニキュアだったので次は桜色にしようかな。
派手な色にしてしまうと気になってしまうので素に近い色のほうが好きです。

今日のタイトルは堅苦しく見えてそうじゃない話題。
「文章の癖と短文コミュニケーション」

文章ってその人の癖がよく出ていると思う。小説を読んでいるとそう思うことが多くて、村上春樹の小説を読むと「ハルキっぽいよね」となるそんな感じ。

LINEが流行して、チャットのような短文でのコミュニケーションやスタンプによって日常でそういう癖を感じる機会が減ってしまったのは少し残念ではありますが。
私自身もメールよりLINEのほうが頻度は高くて、短文とスタンプでやり取りするので否定するつもりは全くないけれど世の中便利になりました。

日本語は文法をあまり意識しなくてもそれなりに伝わる言語なので、言葉の順番だったり、語尾が多少違っていてもそれなりに伝わる。倒置法なんていうものもある。そういったところに人それぞれの癖が生まれて、面白さを感じるんだろうな。

例えば独特な句読点の使い方をする人。口癖のような書き癖?だったりがある人。
短文でのコミュニケーションでは見えづらいかもしれないけれど、見ていると新たな発見があるかもしれません。癖の無いあっさりとした文章も書けるようになりたいです。個性と言ってしまえばそれまででしょうが。

 

本に罪はないけれど

ここ最近色々なことがあってちょっとぐったり気味です。別部署のスピリチュアルなお局様と出掛けることになってしまったり、新人指導があったり。夢にまで出てくるのは正直勘弁してほしいところです。学生時代だったら、皆で飲んで発散しようかとなっていたものが、友達は遠方に就職して今じゃ一人で近所のバーでウイスキーをちまちま飲むようになってしまいました。

大人になるってそういうことなんですかね。

さて、久々に本の話。「本に罪はないけれど」
最近本を読む時間がなかなか作れない中、本の話題です。

読書家の知人からもらった嬉しかった本は「モーツァルトとクジラ AN ASPREGER’S LOVE STORY」(NHK出版)で私のお気に入りの映画の原作です。
タイトル通り、アスペルガー症候群の男女のラブストーリーですが、映画では描かれなかった二人の若い頃、その心情が赤裸々に描かれているという興味深いレビューを見かけたので読む時間を作って読んでみようと思います。

しかし、先日はちょっと苦手なタイプの本を諸事情で読んでいたのですが、所謂スピリチュアルな健康関連の本。本に罪はないけれど、課題図書のようにざっと読みました。健康で長生きするよりも短命でも好きな事したい私からすると肌に合わないというか。

普段読まないような、避けていた本を読むことはまあいいことで。
世の中には色々な思想があるなあと感ぜられた一冊でした。何を思うか、何を信じるか、どう生きるかは人それぞれであります。ある意味勉強になりました。そういえば課題図書なんて響き何年振りかしら。