没ネタ集

iphoneで使っているEvernoteにワークチャット機能がついたようです。朝からマスターにそんな報告をして、今日も気付けば10時を過ぎました。今日は早起きをして掃除を1時間くらいしたので、何だかいい1日になりそうな予感です。

今日は1日分にするにはちょっと少なかったり、色々あって書けないけれどこんな事書きたいんだよねっていうことをつらつらと書いてみます。いわゆる没ネタ集

 

1.世にも美しい数学入門

「世にも美しい数学入門」藤原正彦・小川洋子(ちくまプリマー新書)は、数学が苦手な私が、数学について知りたいなって思った本です。高校の図書室の本棚で出会いました。数学がいかに美しいか。数学者がいかにロマンチストだったか。美しくなければ数学ではない、数学者の藤原正彦さんと、「博士の愛した数式」を書いた小川洋子さんとの対談の1冊です。(ただ、図形が多かったため本の内容を上手に書く自信がなかったため没)

 

2.Singlish

SingaporeのEnglishだからSinglish。独特の表現が面白かったので是非書いてみたかったのですが、たとえばDo you need it or not?(いる?いらない?)が、Need or no need?とにかく単語単語単語。あとは中国語と混ざっちゃったりして独自の発展をしている言語だったので好奇心をくすぐられました。(ただ、そんなにSinglishについて詳しくないのと英語を忘れつつあるため没)

 

3.アトランタ・グリーン

5歳の頃、ピアノ曲で初めて聴いて好きになった曲。以来ずっと好きで、原曲の詳細も不明だったためひたすら調べたときの話。(しかし、アッサリAmazonで見つけて購入したにも関わらす、破損させてしまうという悲しい結末を迎えたため、思い出すと悲しくなるため没)

 

4.欲しい本について

最近欲しい本をひたすら羅列してみようかと思ったのがきっかけで、自分の物欲について真摯に考えてみようとしました。(欲しい本はそれなりにあるのですが、1冊8000円するものもあるので悩み中。今月は忘年会のため物欲が爆発しないよう自主規制)

本の自主規制はつらいです。Amazonカードでも買って、送料より安い古本でも買おうかと真剣に悩んでおります。

ダイモの使い道

柿を頂いたので柿とモッツァレラチーズのカプレーゼを作りました。果物のサラダが苦手な人にはダメでしょうが、果物を果物らしからぬ食べ方をするのが好きなので個人的には満足です。

さーて、アマゾンでダイモを購入したのですが、無事昨日届きました。

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ラベルライターです。本当はテプラとかこはるとか買いたかったのですが、予算の都合といいますかなんといいますか・・・こっちになりました。

A型精神ですね。ファイルの整理用です。ダイモは超アナログなので、間違ってもやり直せないし・・・アルファベットと数字と記号だけ。(入力したい文字のところにダイアルを合わせてカチって押すタイプです。)でも、そのアナログさが何とも可愛かったり。

デスクに置く本も整理してみました。

BEFORE

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AFTER

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ずっとやりたくてできなかったTHE BIG ISSUEの整理も無事にできました。置いていた本たちは本棚へ帰って頂きました。空いたスペースに藤田嗣治の画集。

ファイルの背表紙に貼ってあるラベルがダイモで作ったものです。

ちゃんと背表紙にラベルを貼って並べているのが好きな辺り、やっぱりA型ですね。仕事も細かいと言われますが、そういうところが自分でも好きなので仕方ないです。

しかし、デスク左の本のタワーは健在です。今日も積まれてます。

 

頭だって大掃除

そろそろ大掃除の季節です。師走は毎年忙しいと決まっているので、来月で大掃除を終わらせにゃいかんということです。毛布とクマちゃんズもクリーニング屋さんに見送ってあげないといけないです。何だか大掃除ってわくわくします。

昨日はマスターとミーティング。色々な話をしてきました。ほぼ雑談ですが・・・その話題の中からひとつ。

疑問とかメモとか頭の片隅に残っているモヤモヤの対処法

「暮しの手帖」の編集長の松浦弥太郎氏がされていることで、通称「わからない箱」頭に浮かんだ疑問や直面した「わからないこと」をメモした紙切れが詰まっていて、ある程度溜まったら調べものを始めるそうです。「利点はわからないことの解決と同時に、自分の興味の方向性を知ることができる」との事。

なんてどうでしょう?マスター。みたいな話をしていて、メモの置き場所の話になったりしたのですが、マスターはデスクの左右に置いてあるそうです。

ちなみに私はココです。

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デスクの左側の引き出しの上から2番目です。

左右にIKEAの引き出しHELMER(ヘルメル)を2つ置いて上に板を乗せただけという超簡易デスクですが、引き出しにはあんまり物は入っていません。空の段もあります。そのうちデスクを買おうと思いつつも面倒だしまあいっか。と思って早半年。

家にある文房具はこれだけです。万年筆・3色ボールペン・消えるボールペン・油性ペン(赤・黒)・蛍光ペン(黄)・カッター・マスキングテープ・のり。

あと外出用のボールペン1本ですかね。文房具好きに見えるようですがそんなに持ってないです。

マスキングテープは食べ物の賞味期限を書くか、シフト表を壁に貼るかしか使ってないです。こんな感じ。

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おしゃれな使い道、あるみたいですが。いまいちよくわかってないです。(若いんだからもっと頑張れよって思ったりしますが)

余談はさておき、この「わからない箱」どれくらい続くかはわかりませんが、マスターもやってみるとのことなので実践してみます。

継続は力なり。まず続けることに意味がある。

否定でしか規定できないこと

一昨日から読み始めた本「人格障害かもしれない」磯部潮(光文社新書)精神科医さんが書いた本です。副題は「どうして普通に生きられないんだろう」

全八章+プロローグ・エピローグで構成されていますが、なかなか消化できていません。さらっと読むにはどうやら難しいようです。一章ずつ頭の中で噛み砕いて、ようやく昨日四章に入ったところです。

第一章、まず「人格」とは何かを考えてみる、で正常な人格と異常な人格を区別するという項目があり、そこで少し気になることがありました。

  • 「正常な人格」と「異常な人格」を対比して区別することは現実的には困難
  • 「正常」というものを正確に規定することは不可能
  • 「正常」は「異常」の否定でしか規定できない

つまりは、正常っていうものは普通だとか、みんなと同じという曖昧な表現しかできず、まず前提に「異常」がなければ規定できないってことです。正常を説明するのはとても難しく、まず異常を思い浮かべ、その否定として規定するしかない。

なるほど、確かに。初っ端から何だかムズカシイ。

精神医学とか心理学系の本は好きなのですがやっぱりどうしてもムズカシイ。思うようにページが進まない。

頭がよくなる魔法とかないですかね。

 

 

 

自然と自然

洗濯をしようと思ったら、洗剤が切れていてどうにもならないので夜に洗濯することにしました。コインランドリーが洗濯から乾燥まで一手に引き受けてくれるので洗濯日和とは無縁の生活です。

ことばというものは常にその形を変えていく生き物のようなもので、外国語という違うことばの概念が含まれると更に面白くなるものだと私は考えています。

私にとってその好奇心をくすぐられた本が「翻訳語成立事情」柳父章(岩波新書)で、もうタイトルからしてくすぐられる。そんな本の中から、今回の表題「自然と自然」について。

まず、自然(しぜん)と自然(じねん)と読むのですが、近代以後、西欧語のnatureの翻訳語として自然ということばが使われるようになりました。しかし、自然ということばは、翻訳のためにつくられた新語ではないのです。

日本語としても、仏教用語の自然(じねん)は長い歴史をもつ言葉なのです。

つまり、近代以後、今日までの私たちの「自然」という言葉には、新しいnatureの翻訳語としての意味と、古い伝統的な意味とが共存しているのです。

ざっくり書くと、

仏教用語の自然はありのままという意味です。natureの翻訳語としての自然は自然科学のことです。大きな違いはそこに精神を含むかどうか

前者は精神を含み、後者は含まない。

でも、そこに精神を含むか、含まないか、考えることってそうそうないと思います。natureの意味を書きなさいってテストで出てきたら自然って機械的に書くと思います。自然主義ということばの自然に精神を含むかなんて考えたりしないものです。でも少し立ち止まって考えてみると非常に奥が深い。

だからこそ、ことばって面白い。深くまではまってしまって、私を放してはくれないようなそんな錯覚に陥るのです。