3の法則

以前に書いたことのある本、「わかりやすく〈伝える〉技術」池上彰(講談社現代新書)にあった3という数字の魔法。つまりは要点を伝えるときは2つだと少なく、4つだと多く感じるので3つが適量ですよという話。

なるほどな、と理解したのではありましたが、ミニマルな生活を送る上でもどうやら「3」は適量のようです。さて、実践してみる価値ありそうですが。

現在の部屋着兼ちょっとそこまで着が3着。靴がフォーマル用を除けば3足。
バスタオルは4枚。タイツは3枚。現在の私にとっては実現しやすい数字かもしれません。洗濯のローテーションを考えると確かに3で統一しても問題なさそうです。

部屋を片付けると心も片付く。確かに荒れた部屋では心も荒む一方で。
散らかる程物を持っていなければ確かに部屋は片付いたままです。いつ人が来ても平気。そんな部屋を心掛けて生活しています。とは言っても来客は本当に限られているのですが。

最近、ミニマルライフブログみたいになってきていますが、そうなんです、何か書けるようなイベント事も特になくルーチンワークのような生活になってきていますので、友達のように「○○の打ち上げ!」「花金!」「○○旅行!」なんてものはなく、不定休の土日出勤の事務員さんは会社と家の往復で一日が終わるのです。だからこそ効率よく生活を送ることを全力で楽しんでいるのです。

今はそれで充実。だって元々大人数で何かするっていうのも苦手だもん。負け惜しみでは決してないですよ。

あ、そう言えば、下着の処分ってどうしたらいいんだろうか。そのままゴミ箱行きで良いものなのでしょうか。

本屋の逆襲!

先日のアメトークの読書芸人を観ました。珍しくテレビの話題。
ピース又吉直樹の本屋の歩き方から、光浦靖子の女子の可愛い本の読み方まで。
単行本は猫背で!文庫本は背筋を伸ばして!

本屋さんに行きたいなあと思っていたら懐かしい雑誌を部屋にあったことを思い出しました。

「Meets Regional 本屋の逆襲!」です。2011年7月号

 大阪のスタンダードブックストア茶屋町開店までの46日間の密着取材とか、個人でやられている古本屋の紹介だったり。味があっていいですね。

ちなみにスタンダードブックストア茶屋町の記念すべき来店1号はヤマト運輸。
実はこういう系統の本屋さんって行ったことないんです。

ジュンク堂とか近所の書店しか行かなくて、こういう雑誌を見ていると、ちょっと足を伸ばしていつもと違う本屋さんに行ってみたいなあなどと思う訳です。

ただ、カフェ同様のそのお洒落さに馴染めるのか。ブックカフェにあこがれるのですが、カフェ恐怖症に拍車がかかりそうで足取りは重いです。

日常におけるソリューション

「面倒なことは嫌い」「いつ消えてもいいようにする」

それらを解決する方法は、物を少なくすることでした。

不定期に、思い立ったときに持ち物を見直し、不要と感じれば処分するようにしています。そんなこんなで昨日買ったものと捨てたもの。

買ったもの。

  • ワンピース
  • ストッキング1足
  • 黒い靴下2足
  • 薄手のタイツ3足
  • ステンレスタワシ

「ジャージでコンビニに行けるか?」というテーマで書いたときに検討した、ちょっとコンビニに行ける程度の部屋着。ということでワンピースを買うことに決定。

捨てたもの。

  • パジャマ一組
  • ヨレたTシャツ
  • 履き心地の悪い靴下
  • 外に着て行けない貰い物のメルヘンワンピース
  • 部屋着用Tシャツ
  • 卵焼き用のフライパン
  • サイズ違いのタッパー

ワンピースを買ったら部屋着専用が要らなくなりました。靴下も履き心地のいいものに変えて、卵焼きも焼かないので処分。ステンレスタワシはフライパンとヤカンを綺麗にしたくて買いましたが、思った以上に綺麗になって感動。

部屋着兼ちょっとそこまで着はすっごい楽。今までその都度着替えていたのがいかに面倒だったかを思い知りました。宅配業者が来ても郵便屋さんが来てもそのままでOK。

そうしてゴミ袋2袋分を処分。

それにしても履き心地の悪い靴下ってやっぱり不快。

アンソニーを覚えているか

人は時間を重ねていくもので、そのとき、そのときで印象深い何かが想い出として刻まれていくのだろうと、考えるのですが、私には小中高校と夢中にさせてくれた本がありました。

小学生の頃読んだ、小説というか児童文学がアンソニーという本です。とある写真館の物語。教室のランドセル置きの右端に置いてあり、休憩時間ごとにページを進めていくのがとても楽しかったのを覚えています。でも、詳細を思い出せない。読書が楽しいと思ったキッカケの一冊だったのだと思います。当時は限られたお小遣いでしたから、図書館に行くようになったのもこの頃です。

中学生の頃は村上春樹の「海辺のカフカ」に夢中になりました。少年が体を鍛えて、年齢不相応な体つきになって家出をするところから始まるような(記憶違いでしたらすみません)授業なんてそっちのけで、カーテンにくるまって貪るように読みました。この頃から昼休みになると図書室に行くようになり、図書室が居心地のいいところだと知りました。

高校生の頃は、「世にも美しい数学入門」でした。ゼロという概念を見つけたのはインド人で、東洋の思想なくしては、発見には至らなかったという内容が書いていたのではないでしょうか。高校には図書館司書さんがいましたから、よく話しかけていました。上品でとてもやさしい方でした。図書館司書という本に関わる仕事に憧れたものでした。

短大生の頃は「セックスボランティア」「『異邦人』の生涯」でした。

それぞれの時代にそれぞれ印象深い本があるということは、私にとっては、ですが素敵なことだと思っています。

いま、それらの本を読んだらどう感じるでしょうか。残念ながら、私はアンソニーを覚えてはいないのです。

ジャージでコンビニに行けるか?

ふとした雑談の中から出てきたことなのですが、
「ジャージでコンビニに行けるか?」

私はジャージは持っていません。以前、処分リストの中に選ばれて処分することとなりました。高校時代のジャージはなぜか妹の部屋着です。

そして私の結論は「ジャージではコンビニには行けない」
持ってないっていうのもあるんですけど、わざわざ着替える派。
でもこれって結構面倒で、洗濯物も増えるのです。そして着る服を選ばないといけない。

そんな中とある文章に出会いまして。

「ワタシはこのワンピースで寝ますし、部屋着にもしていますし、これで近所への買い物も行きます。どれだけ面倒くさがり屋なんだって感じですけど、着替えないことはワタシにとってかなりの時短なのです。」

あっ、そっか。パジャマと部屋着とお出掛け着があるから服も洗濯物も増えるんだ。
朝起きてパジャマを脱いで、ちょっと出るのにお出かけ着に着替えて、帰ってきたら部屋着に戻って、そして制服に着替えて仕事に行く。
そこをショートカット出来ればもっと効率良く暮らせるってことですね。

それってジャージでコンビニに行くことに通ずるものがあって、これでパジャマと部屋着を処分できるってことか。(とはいってもパジャマは妹からのおさがり)

雑談の中に暮しのヒントはある、ちょっと検討してみよう。